リヤドロとシャッターの街
群馬県桐生市を買い取りのために訪れた。突然訪れた部外者がいろいろ言うのも気がひけるが、街の中心部の大通りは人の行き交いも少なく、いわゆるシャッター街となりつつあるようである。車窓を流れるシャッターのグレーの壁に胸がざわつく。東京の賑わいは特別であって、地方の活力の衰退は覆うべくもない。
40年ほど前に訪れた時は、街を縦横に流れる澄み切った用水と街並みに共鳴するトントンカラリ、トンカラリ…という機織りの音が印象的であった。「西の西陣、東の桐生」と言われただけの風景を見ることができた。桐生織は江戸時代、仁田山紬(にたやまつむぎ)とよばれていたようだが、西陣や結城紬のようなブランド性はなく、ごく普段着用として使われていたようである。地場産業の展示場へ寄ってみたが、織物はわずかしか置いていない。今や織物産業は衰退の一途なのだろうか。
「おみやげ」を忘れて帰る訳にはいかない。大通り沿いの和菓子屋さん(和菓子処舟定)に寄った。鮮やかな色とりどりの織物で包まれた「帯羊羹」という円筒形の羊羹が立ち並んでいる。どれにしようか、選ぶことが楽しくなる羊羹は珍しい。更に開封した後に、その織物を剥がして再利用できるという、桐生ならではのコジャレたシカケである。
そこで頂いた街ガイドペーパーによると、桐生では「一店一作家(一工場)運動」というのをやっているらしい。パン屋さんには丸尾康弘さんの木彫り作品が、ヘアメイクのお店には丸山悦さんの手編みニットが、うどん屋さんには町田裕輝さんのステンドグラスが・・・・と、それぞれの店で扱っている作家の商品が載っているのだ。
お店の扱っているものに関連するものだけではないのがユニークである。この街に住む人々の作品なのであろうか。100点ほどの品物に全て名前が記されているのが素晴らしい。
リサイクルでも、その思い出や手に入った経緯などを商品説明につけて個人が販売する試みをどこかでしていた記憶がある。さすがに売り手の名前は出していないものの、人とのつながりを大事に考えるという点では、桐生の試みに近いと言える。
リサイクルのユートピアはそれぞれの人が手放すモノとモノを物々交換すること。お金を必要としない究極のリサイクルだ。安いだの高いだの、という物欲から開放される。
もっとも、取り次ぎ業者である私たちの存在価値は無くなるけれども・・・・・
このように街を元気にしようとするお店や人々がいる。多少のシャッターがあっても、お互いの顔が見える住みやすい街になっているのかもしれない。
ところで、片道145キロ(所要2時間30分)のこの上州まで何を買い取りにいったのか?ですね。それはリヤドロの人形、8体のお買い取りであった。購入してから2ヶ月という極めてコンディションの良い物だったので、運送時の損傷を避けるために、クッションをたっぷり使って梱包。人形はそう重くないものの、ガラスケースに入った大きなリヤドロは、キアイを入れないと持ち上がらない。梱包を終え、搬出の段になって突然の大雨。土砂降りの上に、地面が揺れるような雷が落ちる。まるで爆弾とはこういうものかというような音響である。雨が上がるまで待つ時間のゆとりもなく、雨の中を強行搬出。リヤドロには一滴もかからぬよう、全身で守ったために、私はびしょ濡れでございました。
ま、上州名物の3つの「か」の「かかあ天下」「からっ風」「雷」の一つを見事に実地体験したということ「か」。ちなみに「かかあ天下」は養蚕産業(蚕の飼育から、糸引き、機織りまで)が盛んな時期は、女性の経済力が男を上回っていたことから発しているので、単に威張っているということではない。上州の女性に敬意を表して、念のため。