モノ語りヒト語り

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カナリヤよ、生き残れ!

先日ラジオで、「誰にも共感されないけど、個人的には怖いもの」というお題に対するリスナーからの、こんな投書が読み上げられていた。それは「近所に新しいコンビニができるんだよ~と、幸せそうに言う両親が怖い」というもの。(略)それをいち早く異変と捉え、怖いと思うリスナーは、現代社会における炭鉱のカナリヤのような存在かも知れない。(山内マリコ「お伊勢丹より愛をこめて」より)

*カナリヤはメタンなどの有毒ガスに反応し、人間が気づく前に危険を察知して鳴くことをやめて知らせることができる。地中深く石炭の採掘に向かう鉱夫がカゴに入れたカナリヤを連れていった。最近ではオーム真理教捜査の際に係員が携行していたことで知られる。

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今の日本にカナリヤはどれほど残っているのか。

「もの言えば くちびる寒し サザンかな」

紅白歌合戦で歌った「ピースとハイライト」の表現が「反日」的などと保守系団体から抗議を受け謝罪した。残念である。何が問題になったのか理解できないくらい穏健な歌詞である。時代の空気が変わりつつあるのだ。あの忌野清志郎だったらどうしただろうか。

「もの言えば くちびる寒し 漫才も」

爆笑問題にNHKが自主規制。パロディもジョークもなくなってしまうのではないか、と思われる窮屈さが最近目につく。バネが片方に寄りすぎている落ち着きの無さ。漫才ですら規制されるのだから、他の世界ではもっと多くの表現が葬られているのだろう。それは誰にも見えない。

「もの言えば くちびる寒し 名優も」

戦争は繰り返してはならないという趣旨の発言をNHKのアナウンサーに途中で遮られ、それでもひるまなかった宝田明さんが今の日本にとっては大事なカナリヤであろう。警告を発しながら鳴き続けるカナリヤであって欲しい。

このようなカナリヤたちが、静かに私達の目の触れるところから消えていった時、息苦しいことが日常になる。そして、いつの間にか戦前という時代を迎えているのではないだろうか。

*「無辜(むこ)の民が無残に殺されるようなことがあってはいけませんね。国家の運命というのは、たかが一握りの人間の手によってもてあそばれている運命にあるんですよ。だから間違った選択をしないよう、国民は選挙を通じて、そうではない方向の人を選ぶのか、あるいはどうなのか……」

宝田さんが言葉を継ごうとすると、聞いていた男性アナウンサーが突然、「その辺は各自、思うところがあるでしょうから、個々の選択がありますけどね……」と、制止するかのように割って入った。さらに「戦争を知っている世代として、これからもいろんな演技を見せていただきたいです。ありがとうございます」と、コーナー終了を“宣言”してしまったのだ。

だが、コーナーは終わらなかった。

いったんは「そうですね」と応じた宝田さんが再び口を開き、きっぱりと言い切った。「声を大にして、戦争は絶対におこしちゃいけないということをメッセージし続けていきたいと思います」。ぎこちない空気の中、ようやく画面が切り替わった。(略)「どんな職業でもそうかもしれませんが、(不特定多数の)皆様がお客様ですからね。こんな発言をすると観客が減るとか、あの人に嫌われるとか、そんな短略的な理由から、お利口さんにして口をつぐみ、八方美人的に生きてきたんです。でもね・・・・」と俳優は続けた。「60歳を過ぎた頃から、自問するようになったんです。『おい、いつまでもノンポリでいられるのか、宝田よ』と。俳優は後から身につけた職業。だったら生身のお前の意見はどうなんだ、人間として何を言わなきゃいけないんだ、と。それからは、言うべきことは言ってきたつもりです。もちろん、先日のNHKの番組でもね」(毎日新聞2015年1月21日)

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