何でも鑑定団と骨董リサイクル
テレビの話が二つ続いたついでと言ってはナンだが、テレビでの「リサイクル」の扱われ方にヒトコト。
「リサイクル」という言葉の持つイメージは、人によって相当異なるものがある。ある人は不要なゴミのようなものやガラクタを想像するかもしれないし、ある人はこの時代に必要なエコロジーを思うだろうし、ある人は車や住宅と同じように一般的な中古の売買の仕事をイメージするかもしれない。使われ方は様々だが、使い古された言葉を嫌って、「リユース」とか「ロハス」などという言葉に置き換えている店もある。
「くらしのくら」も、広告媒体などでは「リユース店」と表記している。それは単に言い方の問題で、まごうこと無く、中古自動車も中古マンションも骨董もアンティークもリサイクルの一つの業態でしかない。
だが、この「リサイクル」という言葉は、常にある種の色合いを伴って使われることが多い。
「リサイクルショップ・くらしのくら」のお客様はお買い取りの際も、お買い上げの際も実にアットホームである。事務所にはお客様から頂いたお菓子や果物がいつも並んでいる。スタッフがお客様の引っ越しのお祝い会に招待されたり、食事会に誘われたりすることも多い。
だが、世間一般では決して「立派な仕事」とか「あこがれの仕事」とか思われてはいない。どちらかと言えば、下々に位置する職業と思われているのではないか。
それが、「なんでも鑑定団」の司会のセリフに如実に現れている。鑑定依頼の骨董品をリサイクル店で買ったとわかると、「え?これはリサイクル店で買ったんですか」と驚き、「それはホンモノではないかも、という顔つき」を司会者がするのが定番となっている。
そのたびに「鑑定に出された品物の多くのニセモノは骨董店の扱いだったではないのか」と、私はテレビの前で毒づくのだった。
「値引き交渉をして、何万円でやっと手に入れたんですよ」と、大枚を払って買った骨董が、鑑定の結果とんでもない贋作だった、という例が何度もこの番組で紹介されている。贋作をおくびにも出さず真正品として売りつけているのか、あるいは骨董店主も贋作を見抜く力が無かったのか、いずれにせよ、まともな骨董店とは言えない。こんな騙された事例を失笑していくエンターテイメントに、まっとうな骨董店はもっと怒っていい。中島誠之介先生にもそのような鑑定結果の際は、しっかりとお叱り頂きたい。
一方、リサイクル店で贋作を売っている例は少ない。逆に、リサイクル店で買った骨董がとんでもない値段になることがある。真正品をそれと知らずに安く売るリサイクル店が多いのであろう。それ故、リサイクル店は骨董店より格下に思われているのかも知れない。
でもね、ヒトを騙して儲ける商売より「騙すことも出来ず損する商売」のほうがずっとマシだと思うのですよ。
この写真の古伊万里はホンモノです!
「贋作は売らない、真正品はお安く提供する」
そんな店でありたいと、お宝番組をみる度に思うのでした。