モノ語りヒト語り

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骨董市より朝市

限界を超えて楽しみが増えることには魔力があって、一度その魅力に取りつかれると引き返すことはなかなかできない。冬でもイチゴのないショートケーキなど考えられなくなってきているように。

でも、冬にサクランボは食べたくない。春はイチゴ、夏はスイカ、秋はブドウやリンゴ、冬はミカンとその時だけの日本の旬を楽しみたいものだ。
 
サクランボが田舎から送られてきた。昔は、箱を開けるのがスリリングなほど傷みが多かったが、今やクール便とやらで当日収穫した新鮮なサクランボを、翌日には食べられるのである。鉄道便で三、四日かかった頃から考えると隔世の感がある。地域間の距離がどんどんなくなっていくと、サクランボを食べる時の感動は、その分薄れていく。

サクランボだけではない、地方の味を楽しむわくわく感が少なくなってきているように思う。

名古屋に行けば「ういろう」、福岡に行けば「からしめんたい」、長崎に行けば「長崎カステラ」を自慢げにお土産にしていたのだが、今はあまり珍しがられることはない。だから、東京では絶対に手に入らない名産品を探し回ることになる。

そんな世の中で、「骨董」の部類はそのプライスにおいては明らかに東京と地方では格差が存在した。ニーズが少ないのか、仕入が容易なのか分からないが、定番の古伊万里などを除くアンティーク雑貨は間違いなく安かった。蓄音器、ちゃぶ台、小引出、ランプ、笠などはおよそ東京での売価の半分で手に入れることができたのだ。

だが、今は明らかに変わってきている。高速道路が出来たからではない。「なんでも鑑定団」の視聴率が上がるごとにモノは出なくなり、値段はじわじわ上がってきているのだ。

「家やお蔵にあるモノは、もしかしたら宝物?症候群」が全国に蔓延してきた結果だといえる。モノの売買を生業にするプロにしてみればあまりいいことではないが、モノが散逸しないという点では悪いことではないのかも知れない。いずれにせよ、地方で思わぬ掘り出し物を発見したり、え?と思う値段でいいものを手にすることができた楽しみが無くなってきたのは確かである。

今は、旅の楽しみは骨董店やリサイクルショップ巡りよりも、朝市で今まで見たことの無い野菜や魚を発見することのほうが随分楽しくなってきた。

「なんでも鑑定団」

骨董に対する関心を高めた功績は大きいが、いろいろなモノを値段という物差しではかる風潮を作っていったことについては、疑問を感じざるを得ない。記念に貰ったモノにまで値段をつける(つけさせる)オコナイに疑問を感じるのは私だけだろうか。値段では計れないものモノが、世の中にはいっぱいあっていい、と思うのだが。

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