出光美術館とグローバル化
「東洋・日本 陶磁の至宝」という美術展があった。後ろから覗かなければならないほど観客がいるわけではないのでゆっくりと鑑賞できたのは嬉しかった。
明清時代の景徳鎮の「うつわ」や日本の弥生時代から江戸時代中期までの陶磁器が展示されている。思わず足を止めてしまうのが、野々村仁清の茶器や古九谷の皿、尾形乾山の鉢などである。何処かで見た記憶が刺激をもたらす。
それぞれの「うつわ」には歴史とともに、その国の文化や風土が刻み込まれていて、お互いに影響しあっていても、決して同じフォルムや色合いにはならない。東西の交流はあっても、生まれ育てた文化の違いは消えるものではないのがよく分かる。
出光美術館は帝国劇ビルの9階にある。ゆったりとした休憩所があり、大きなガラス窓から皇居が一望できる。フリーのお茶をのみながら休むことができるのが嬉しい。このビルの1階は帝国劇場である。その日、左手の帝国劇場でジャニーズ系のイベントが開催されていた。おしゃれな女子の一群が入場を待っている。その右手につつましく出光興産の入り口と出光美術館の入り口がある。
10月13日の夕刊各紙のトップ記事は出光興産と昭和シェルの合併延期のニュースだった。来年4月に予定していた合併を出光の創業家が反対したため延期したという内容である。国内のガソリン需要は減り続けており合併による規模の拡大とコスト削減を進めてきたが、大株主である創業家は昭和シェルとの社風の違いなどを理由に合併反対を表明、最終的な理解を得られなかった、とのことである。
出光と言えば、思い出すことがある。40年ほど前、千葉の奥田舎に小さな出光のガソリンスタンドがあった。町場のスタンドより2~3円高いよね、と言ったことがある。三十代の男性とその母親でやっている小さな店だったが、彼はよく聞いてくれたとばかりにこう言った。「出光のガソリンは他のものと違うんです。車にとってもとてもいいのです」とその理由を詳しく説明した。その内容は忘れたが、自信たっぷりの話しぶりに納得したことがある。出光のガソリンを扱っている誇りに溢れていたその男性の表情は今でも思い出すことができる。
出光興産の創業者である出光佐三氏は、戦後も国際資本に飲み込まれることなく、大家族主義経営を掲げ「財務諸表より社員を大事にしてきた」人物である。欧米型の資本主義的経営や合理主義傾向に疑問を呈し、日本型経営哲学を守り抜いてきた経営者だ。
今は企業が生き残るための策として、あらゆる分野で大型合併が進められている。コンビニ業界から銀行まで昔の名前が思い出せないほどである。グローバル化の進展に合わせ、政府は会社法の改正など様々な後押しをやってきたが、果たして欧米型企業への転換が日本の企業を強くしていったといえるのだろうか。むしろ、大企業の粉飾決算などの不正や凋落がめだっているような気がするが、大企業の更なる大企業化は、止めようもなく進んでいるようである。消費者にとっては、商品や会社の選択が狭められていくことになる。
創業家も合併の必要性を知っていない訳はない。だが、日本的経営でここまで成長してきた創業家の今回の抵抗は、日本の独自の文化を守り継承していく出光美術館と重なって見えてくるのは考え過ぎであろうか。
雪崩を打つようにグローバル化(合理化を軸とした西欧基準)へ傾斜していくニッポンへの異議申し立てに見える。出光佐三氏の掲げた日本的経営が、今後も通用していくのかどうかは素人にはわからないが、「グローバル化」という口当たりの良い言葉に潜む成長至上主義の流れとは相容れないものであったのは確かである。
出光佐三氏が生きていたなら、どんな言葉と態度でこの事態に対処したのだろうか、想像を巡らしたい。
ちなみに出光美術館の株は創業家が保有しているらしい。
創業家が反対している理由についての参考記事
一つは、大家族主義を社是に掲げてきた出光と、七つもの労働組合がある昭和シェルは水と油の企業体質であり、合併に多大な労力がかかること。もう一つは、1953年の日章丸事件以来、イランと親密な関係を持つ出光が、サウジアラビア国営石油の資本が入る昭和シェルと合併することは、両国の対立が深まる中、不適当だと認識していることだ。(東洋経済2016年7月11日号より抜粋)