橙は代々
年も押し迫った12月中旬、「遠いのですが、古い箪笥や着物、食器などがあるのでみてもらえますか」との問い合わせがあった。
世田谷から首都高速道路、中央高速道を通って約1時間半で着いた。そこは14、5年前に御岳山に登った時に乗った青梅線の駅の近くであった。渓谷の下を流れる多摩川と山あいに挟まれた帯状の集落である。10年以上住んでいないという家の周りには草が人間の背丈ほどに生い茂り、それらを踏み倒しながら進まなければならない。玄関はベニヤ板で封鎖されており、勝手口から靴のまま上がりこむ。人が住まない家は自然に荒れていったのであろう、蜘蛛の巣がはり、家具も傾き、本や食器、雑貨が床に散らばっている。
横浜に住む依頼主も久しぶりらしい。「ここにあるもの何でもいいです。どうぞ見てください」窓には板が打ち付けられていて、隙間から漏れる僅かな光と懐中電灯の明かりが頼りである。更に隙間からは寒風が容赦無く吹きこんでくる。しばらくすると目も暗闇に慣れ、体も寒さに順応していく。
まずは、着物である。左右に揺すりながら桐箪笥の抽斗を開けると、着物の表面から封印された時間を伝えるかのようにしっとりとした手触りが伝わる。取り立てて良い着物があるわけではないが、いつも着物を着ていた生活が思い起させるような箪笥の中身である。木綿の普段着が多く、再販可能な着物は少ないが、中に大正から昭和初期の着物の端切れが一緒に雑然と押し込まれていた。柄行きによっては需要のあるモノである。
押入れの中では湿気で固まった本のヤマをかき分けながら、木箱に詰められた印判などの生活食器を掘り当てていく。無理もないが、漆は変色して灰褐色に変色しているものが多い。変色した椀は相当の「時代」が無いとお買取りは難しい。椀を一つずつ包んだ和紙(書き損じの書や掛売りの台帳のようなもの)が、その使用された時を記憶に留めているのだが・・・・。(このような和紙をコラージュに使うために集めているお客様もいる) 埃にむせながら、探索することおよそ1時間。折コンテナに3箱ほどのお品物のお買取りを終えた。
外はまばゆいばかりの青空、冷たいが澄みとおった空気・・・・・・・。
入るときには気づかなかった黄色のみかんのような実をつけた樹木が一本、目に入った。聞くと橙(だいだい)だという。このへんはゆずが良く獲れ、どの家にも橙とゆずが植えてあるとのこと。「よかったら取っていって下さい」その場でもいで食べるとみかんでもオレンジでもなく、甘みも少なくあっさりしている。強いて言うなら日本の味という感じか。実がなっても2~3年落ちないことから「代々」というらしいから、私達がこれを食べられたことだけでも、ここまで来た甲斐があったというものである。
相変わらず遅いレポートであるが、2011年最後のお買取りはダイダイで締めくくりとなった、メデタイことである。