自称「ボヘミアン」逝く
献花の時には思わず滂沱の涙であった。祭壇に飾られた写真はあの人懐こい細い目と、いかつい顔で今にも話し掛けてきそうだ。涙が止まらない。
5月24日、「リサイクルパワーセンタータウン」の服部正男社長の社葬が執り行われた時のことである。あれほどの健啖家が少しばかり食が細くなり、入院をしてしばらくした四月二四日、突然の旅立ちであった。
「リサイクルパワーセンタータウン」(本店 神奈川県大和市)とは御存知の方も多いであろう。リサイクルショップの草分けで、日本で初めてリサイクルショップを世に認めさせてきたといってもいい。
一代にしてブランドから家具、厨房まで5店舗を展開し、日本のリサイクル業界を引っ張ってきた一人である。服部社長に私が初めて会ったのは「リサイクル研修会」に参加した1999年、まだサラリーマン時代の時である。
脈絡はないが人を引き付ける豪放磊落な話し振りに強い磁力を感じたのを覚えている。所謂「カリスマ」の持つエネルギーを彷彿させる人であった。
「野坂さん、この仕事はね、ノーリスクハイリターン!やったら必ず儲かるの!」
先天的な詐欺師キャラ。騙されても憎めないホラ吹きに見事にやられてしまった私。
彼自身が思い通りにこの事業をやれたかどうかは分からないが、(大手のリサイクル進出によってスケール、収益共にタウンを凌ぐ後発企業も多い)「リサイクル」という、うさん臭いとみられていた仕事に魅力を吹き込み、中古であってもワクワクする世界を店舗のみならず自らの肉体で表現し続けた人であった。
「リサイクルはテーマパークでなければだめなんだよ。 見て楽しみ、買って楽しむ。俺たちは売って楽しむ。」
ある時のことだ。「面白いことを考えてるんだ」と、国道16号沿いの大きな花屋に連れて行かれた。花屋で売れ残った花をリサイクル出来ないか?どうせ捨てるんだ、これで店頭を飾って花屋の様にしたいんだ、と言う。
戦術も日程もプランもそんなことは後のことだ。まず花屋の店員に話し掛けていくのだ。面白そう!やれないか?と考えただけで、体が自然に動いていく。そういう人であった。
その情熱は、「ちょっと無理がありすぎはしないか」と「常識」で考える私を小賢しい人間にしていくのに十分な程パワフルであった。勿論、花リサイクルは継続出来る仕事とはならなかったが、この「何でもリサイクル」の思考パワーが、タウンのオリジナル部門であるリサイクル品を使った店舗設計、施行会社を産んだのも確かなことなのだ。
「リサイクルはモノだけじゃない。ヒトもリサイクルするんだ。」
私がこの「くらしのくら」をスタートした契機は勿論この服部社長に「騙された」ことによるのだが、それ以上にタウンのスタッフに魅せられたことが大きい。オーバーに言えばこのタウンは人生の「るつぼ」のようであった。
一分の隙も無い仕事をこなすスタッフは勿論、リストラされたサラリーマン、倒産した会社の元社長、いつ仕事をやっているか分からない遊び人風の人までどの顔も魅力的なのである。
所謂、世間の人とは違う「匂い」がある人種がゴロゴロいたのだった。服部社長の懐の深さと、このリサイクルという複雑でドラマティックな世界が相まって醸し出す人間臭く芳醇な匂いなのだ。
あり得ない夢も、終わってしまった夢も、見果てぬ夢もいつも間近な夢として見続けてきた服部正男五七才。私より一歳下の後輩であり、この業界三十年の先輩であった。もうこれだけリサイクルの夢を語られる人は出て来ないであろう。既にリサイクル業界は「心意気の仕事」から「ビジネスとしての仕事」へ移りつつあるのだから・・・・。
自称「ボヘミアン」故服部社長に合掌。