木にはそれぞれの使命がある
小雨の降りしきる中、小松から山中温泉を通り過ぎ、少し山間に入るとその工房はあった。一見なんでもない木工場のようである。中から私たちを迎えてくれたのは、カーキ色の作業服に身を包んだ「どこにでもいる木工の職人」という感じの人であった。
約30坪ほどの工房に入ると、棚にはくりぬかれた椀や皿が所狭しと積み重なっている。入り口の薪ストーブを囲むと、壁には幅3センチ縦20センチくらいの木材の標本が40枚ほど飾られている。
「見てください。ぜんぜん反っていないでしょう。きちんとした(乾燥した)木は、こんなにストーブ焚いた状態でも変わらないんです」
木にはそれぞれ持って生まれた使命がある、それを生かすのが人間の仕事だ。という。
「日本書紀に棺桶には槇を使えと書いてある。(檜は端宮=宮殿に、杉と楠は舟に、槇は棺桶にとある)実際に中国では千五百年前の棺桶が発掘されたことがあり、その原型をとどめていたことがある。槇は腐らない。その時代の人も木の使命を知っていたということだ。また、桧はもともとの意は火の木であって、火を起こす道具にもなった。簡単には燃えない、更に水に強いので腐らない。だから風呂桶に利用した。香りだけではない。人間は木のそれぞれの使命を生かしてきたのです」
「この川の上流に小さな村がある、そこでは橋桁に欅を使っています。いま、どの橋もコンクリートを使っているが、30年か40年の寿命である。欅は時が経つにつれ根を張って更に強くなっていく。コンクリートよりも木の方がもつのです」
山中漆器のくり貫きや漆塗りの技術の話ではない、ともかく木の命、使命の話であった。 木と人間の共生を知り尽くした人でなければ、これだけの美しい木目を生かした漆器はできないのに違いない。
ある白山神社のご神木に落雷があった。大きな幹は裂けてしまい、それは神社の奥深く祭られることになって、誰の目にも触れられることがなかった。無理に頼み込んで見せてもらった。割れ目の中から外側にいたるまで「呪い釘」が点々と残っていたという。どんな呪いであったのか、いつの時代の呪いであったのか。落雷とともにその呪いは届いたのか。
その話にスタッフは息を呑んだ。人間の業もさることながら、それらを百年、あるいは千年呑み込んだまま倒れる杉の木の巨大な懐に感じ入ってしまったのである。そして、それを見にいってしまうこの職人のコダワリの深さに・・・・・・
川北良造さん(昭和9年石川県山中町生まれ)
木の買い付けから、ろくろ、漆塗りまで山中漆器の全工程を一人でこなす人間国宝(重要無形文化財)です。私には「木地師 川北良造さん」というのがぴったりという感じでした。昔は木を見る目がなかったために、何百万という欅の原木を騙されて買った話などは、私たちも身につまされました。
苦木造輪花盛器(直径32cm×9cm)
「川北工房 川北良造」より引用