『包丁講座』レポートその2
「包丁一本 晒しに巻いて 旅へ出るのも 板場の修業」
小さいころ、酔った親戚の叔父さんにこんな歌を教わった記憶があります。調べてみるとこれは『月の法善寺横町』というド演歌の冒頭の歌詞。「こいさん(お嬢さん)」に身分違いの恋をした新米の板前さんが、「一人前になって認められれば、彼女と添える日が来る」とひたすらつらい修行に耐える心情を謳っているのでした。
それにしても調理道具ならば、「鍋」だって「釜」だってありそうなものです。板さんが自分の分身のように肌身離さず持ち歩くのが、 わざわざ「マイ包丁」なのはなぜなのか…きっと名前なんかも彫られていたのに違いありません。なんで包丁?ずっと不思議に思っていました。
Tさんの集中包丁講座(入門編)を受講して、おぼろげながらわかったことがあります。刃物というのは、日本人、とくに男性にとっては、単なる道具ではないらしいということです。
包丁一本とっても、 地理と歴史・化学の知識がぎっしり詰まった面白いストーリーの宝庫だということ、「車」や「ワイン」や「スポーツ」に負けないくらい、果てしなく深く堀り下げていける世界だということ。
そして、生きるために刃物を使うことに対して、狩猟民族ではないからこその一種畏れのようなものが 日本人にはあるのではないかということ、など…
それらをトータルして考えたとき、包丁一本を懐に旅に出る板さんの心情も、「なるほどねー」とわかったような気がしたのです。
こんなにスケールの大きなお話を、仕事上の都合とはいえ「1~2時間で」というのも、 そもそも無理な相談だったなあと思うのですが、 実際2時間でまとめてくださったTさんには脱帽です。食べることには人一倍情熱を持っているつもりでいながら、自分が日々使っている包丁についてさえ よくわかっていなかったことも思い知りました。
この夏の土用の日には、近所の鰻屋さんに行って「関東式」の包丁を見せてもらおうと ひそかに心に決めています。
文責(HT)