筆触れあうも多生の縁
一人暮らしの母上の住んでいたマンションの家財一式のお買取りを依頼された。部屋のたたずまいは、その人の生き方と性格を良く現しているように思う。玄関にはその季節ごとに付け替えられるであろうお花畑の陶板画が飾られている。
レトロな小引き出しと紫檀の座卓があるだけで、タタミの広がりのある和室を覗くと
他人様の居場所ながら心安らぐものがある。母上は書をたしなんでいたらしく、硯も筆も相当の数である。居間の水屋箪笥の上に数十本の筆が筆立てにまとまっていて、
薄墨色の穂先はどれもきれいに整えられている。
水屋箪笥、和箪笥などをお買取りしたあと、ご子息と雑談をしていた。
「私共のお買取りしたもの以外はどうなさるんですが」
「後は全部捨てますよ。中を空にして売ることになっているんで…」
「お買取りできる訳ではないんですが、あの筆と、和紙の束を譲っていただけませんか。」
「どうぞ、どうぞ。捨てるよりは使ってもらった方が嬉しいので…」
書道をやっている訳ではないのだが、なにやらあの筆たちをそのまま置いてくるわけにはいかない気がしたのである。今でもどうしたらいいのか良く分からないのだが・・・・
和紙(茅目箋というものらしい)はおよそ開いた新聞紙二枚くらいの大きさで千枚程であろうか。コシがあって包み紙やクッションとして使うには申し訳ないと思えるものであるが・・・・