生き返る救援物資
当店で集めていた義捐金に当社およびスタッフ一同からの寄付を合わせて、127,438円をNPO法人日本チェルノブイリ連帯基金に救援資金として送った。寄付先としてまず思い浮かぶのは日本赤十字社だが、とにかく動きが遅くていつ届くか判らない。すでに1カ月経過した今でも配分委員会の審査中なのである。みんなが行きたがらない南相馬市に医療支援で行っている日本チェルノブイリ連帯基金に送るほうがすぐ役に立つのではないかと考えた。
もう一つの理由は、支援に行った鎌田實理事長は医薬品だけではなく、避難所に缶ビールを持って行き、それを本当においしそうに飲んだ一人が「ああ、生き返ったようだ」というのをテレビで拝見したことである。一番最初にビールは必要ないが、今はビールだって重要な支援物資なのだ。私たちがお送りした義捐金がビールなるのもうれしいことである。
福島・南相馬で 医師、看護師も現地入り。旧ソ連のチェルノブイリ原発事故被災地の支援などを続けてきた松本市のNPO法人や県内の医師、僧侶らが、福島第一原発から20~30キロ圏内にある福島県南相馬市の病院や避難所の医療支援に乗り出している。
支援を始めたのは、NPO法人「日本チェルノブイリ連帯基金」(JCF、鎌田實理事長)と、鎌田理事長が名誉院長を務める諏訪中央病院(茅野市)の医師や看護師、JCFの前事務局長で松本市の神宮寺住職、高橋卓志さんら。
東日本巨大地震に伴う放射能漏れ事故で、同原発の20~30キロ圏内には政府から「屋内退避」指示に加え、25日には自主避難を促す方針が示された。しかし、様々な事情で避難できない住民も多く、南相馬市内では同圏内に約1万人が残っているとみられている。
同圏内では物流がほとんど途絶えたため、地震発生の数日後、鎌田理事長が同市内の知人の病院関係者に連絡したところ「病院の食料や医療用酸素はあと2、3日、薬も無くなり始めている」と聞いた。同市立総合病院のスタッフも通常の半数程度に減ったという。
JCFなどは21日から第1陣7人、25日から第2陣5人が同市に入り、義援金などで仕入れた医薬品約250万円分と、支援者から集めた成人用紙おむつ、レトルト食品などを4トントラックに満載して届けた。また、同市立総合病院や市内の避難所2か所(避難者計約150人)で被災者の健康状態を診察し、高橋住職は遺体安置所の70体以上の前で一体ずつお経をあげた。
25日夜に避難所で「おでんパーティ」を開くと、それまで屋外で炊き出しも出来ず、温かい食事を取れなかった避難者の中には泣いて喜ぶ人もいたという。
関係者によると、第2陣が入った時点でも市内の店は、すべて閉まり、ゴーストタウンのようだった。避難所には、家畜やペットを残して他地域に避難したくないという人のほか、避難もままならない高齢者も目立った。寝たきりの80歳代女性は、放射能漏れ事故の後、同居の息子夫婦がおにぎり3個を置いて避難してしまい、その後救助されて避難所に来たという。
JCFなどは26日に現地から引き揚げたが、4月以降も義援金を集めて支援を続ける予定だ。鎌田理事長は「支援で現地の状況は少し改善したが、困難な生活に変わりはない。原発事故が長期化するなら、政府は曖昧な『自主避難』ではなく、明確な避難指示を出すべきでは」と首をかしげる。高橋住職も「原発周辺に残された住民を見捨ててはいけない」と訴えている。義援金や支援物資はJCF(0263・46・4218)へ。(2011年3月29日 読売新聞より引用)
ベラルーシ共和国の病院で入院治療中の子供が描いた絵ということです。