使いたくない言葉
司馬遼太郎さんが「カネを積まれても使いたくない言葉」として「生きざま」をあげていたという。内舘牧子さんは「ざま」は醜い様子や状態を見下げたり、いやしめたりする言葉だと考えていたが、1998年刊の広辞苑にこの「生きざま」が初めて載り、 意味を「人の生き方」としていることに憤っていた。ちなみに、内舘牧子さんの「カネを積まれても使いたくない言葉」は「スイーツ」だとのこと。読者にもそういう言葉がイッパイあるはずだと、募集中である。(週刊朝日「暖簾にひじ鉄」より)
そこで、スタッフに「カネを積まれても使いたくない言葉」を募集してみた。
当店の稼ぎ頭できものの第一人者Oは間髪を入れず<キズナ>と答えた。Jポップの歌詞に「キズナ」が出てくると、どうかなと思うとのこと。絆という言葉に何の責任もないが、言葉にも手アカはつくのである。
ヤフーオークションのスペシャリストNはしばらく考えたあと、「パスタ!」という。え?何でパスタなの?「だって、昔はちゃんとスパゲッティと言ってたじゃないですか。今はカッコつけてイタリアの小麦粉系料理をパスタと十把ひとからげで言うのは抵抗があるなあ」と。
家では3人の子供と、店ではヤマとなった品物たちと、四つに組んでいるAは、すぐには思いつかないけど、間違っていると分かっていてつい使ってしまう言葉はあると言う。ひとつは「やばい」。思わず追い詰められた時に、口の端に出てしまうとのこと。これは口癖になると困るので、私としては「お金を積むから使わないで欲しい言葉」である。
「ブログで食べていけるね」とスタッフに評判のブログの名手Mは「一日考えたけど、思いつかなかったです。何かそういう言葉ってあるんですよ、確かに。でも急に言われても思いつかないので、浮かんだら報告します」とトラックに乗り込んでいった。たった一人で「くらしのくら社員の平均年齢」を下げるために努力しているトラック班リーダーである。(読ませるブログは近々HPにリンク貼りますのでご期待ください。)
ブランドと貴金属担当Tは「鑑定士」。この言葉には何の資格も免許も含まれていないの、に、自分でサムライのように「鑑定士」などと名乗るのは、鼻持ちならないとのこと。Tはエルメスの鑑定スタッフも一目を置く鑑定力の持ち主だけに迫力がある。
当店ムードメーカーナンバーワンHは、挙げようと思ったら数では誰にも負けないと豪語。なんとか一つに絞ってもらった。言葉ではないが「上手に年を重ねる」だという。こういう表現は主に感動系映画とか女性誌あたりが発信源だが、常日頃から地雷を踏まないように注意して生きているとのこと。世の中には言葉の地雷がいっぱいあるようだ。
私も、数では負けない気がするが、一つ挙げれば「米を洗う」。これも言葉ではないが、 お米は腰を据えて研ぐものである。洗ったお米は美味しくない。(今は、洗剤を入れてアラウ若者がいるというから、声を張り上げて言うことに意味は無いのかもしれないが) 言葉として言えば「無洗米」になる。おそらく、この言葉が出回ってから「米を洗う」という表現に抵抗がなくなってきたのかもしれない。たとえ言いにくくても、消費者に媚びずに「無研米」と言い切るべきであった。今となっては罪深い商品名である。
1万円積まれたら、きっと使ってしまうかもしれないなあ・・・・・と思う軟弱な気持ちを断ち切って、きっぱりと「使わない言葉」を持ち続けたいものである。