明日(あした)は明日の風が吹く
生活必需品を扱っていない私達の店は、売上も乱高下するのが日常である。辛い日もあるのだ。そんな時は、「明日(あした)は明日の風が吹く」さ、と強がっているのだが、思えばこの言い回しは「風と共に去りぬ」最後のシーン、スカーレット・オハラのセリフだった。
アンティーク家具のお買い取りで出向いた先は原宿の一角。田舎へ引っ越すので全部の家具を処分したいとのこと。本棚、ミラーバック、食器棚、ベッド、フロアスタンドと相当の量である。査定の際に「こんなものも買い取ってもらえるんですかね」と指さされたのがこの写真の入ったフレームである。
「どうしたんですか」
「アメリカにいた時に、ハリウッドで買ったんですよ」
「これは写真だけど、小切手のクラーク・ゲーブルのサインがホンモノなんですかね」
「そうみたいですね」と購入したご本人の話も心もとない。
「懐かしいなあ」
「昔みんな観たもんですね」
「そうそう、長い映画で途中休憩がありましたよね」
「ビビアン・リーが綺麗でね」
「クラーク・ゲーブルもカッコ良かったなあ」
と映画談義が終わらなくなってしまった。
だが、この小切手の由来はよく分からない。日付は1945年3月10日、金額は15ドル38セント、銀行はハリウッドにあるセキュリティファーストナショナル銀行、発行人はクラーク・ゲーブル(に違いないと思う)。おそらくクラーク・ゲーブル本人が書いたと思われるかすれたサインがある。
*サイン部分のアップです。
はてさてどうしたものか、思案のしどころである。
ま、「明日の風が吹く」まで待つことにしよう。
追補
お客様に「どちらへ引っ越されるのですか」とお聞きして何と私と同郷とわかる。更に、同じ学校区で2学年異なるものの同じ小学校と中学校であった。「数学の我孫子先生に私も教わりましたよ」と方言使い放題、昔話で盛り上がった。
参考
- 「風とともに去りぬ GONE WITH THE WIND」は1929年公開(日本公開は1952年)のカラーアメリカ映画(3時間42分)。主人公スカーレット・オハラをビビアン・リー、レッド・バトラーをクラーク・ゲーブルが演じた。太平洋戦争前の物資枯渇状態の日本とカラーで長編娯楽映画を作っていたアメリカとの国力の差をまざまざと見せつけられる。皆が「負けるはずだよ」とつぶやいたものである。
- 主人公スカーレット・オハラの台詞「Tommorow is another day」は、本来「明日は明日の風が吹く」というやや投げやりな意味は無く、今は「明日という日があるわ」と訳されていることが多い。
- 日本最初の総天然色映画は22年後の1951年、木下恵介監督の「カルメン故郷に帰る」
- 小切手発行日の1945年(昭和20年)3月10日は死者10万人以上が犠牲になった東京大空襲の日である。
- 小切手額面15ドルは当時の相場でおよそ225円(為替相場は1ドルで15円、戦後360円となった)、当時の平均給与は150円なのでそれなりの金額と想像される。