リサイクルと身土不二
昔、夕方になると秋刀魚(サンマ)を炭火で焼く煙の匂いは帰り道を急ぎ足にさせたものである。
すっかり骨だけになるとその頭と骨を焼いて、せんべいのようにカリカリ音を立てながら食べたものだった。七輪が無くなった今はそんな楽しみ方はできない。魚にしても野菜にしても、まるごと食べることが少なくなってきた。
2013年の秋のセール(モノ語りヒト語り2013年11月29日「津軽リンゴも売ってます」)で夏掘農園より送っていただいた津軽りんごをまるごと食べた時の美味しさは格別であった。夏堀さんが上京した際に食べ物談義となった。
彼が実践しているのは「身土不二・・身体と土は二つならず」つまり人間の体も土も同じものである。一緒に支えあって生きているのだから、その人が住んでいる地で生産したモノを食し、その旬のモノを食べていくという考え方だ。寒い地域に住んでいる人はそこで育った食物を食べることで身体を温めることができる。また、離れた地域のモノより地元の鮮度も高いモノを食べる、ということである。今でいう「地産地消」に近い。
だが、すべてを「地産地消」にしようとすると、野菜から肉、魚まで輸入に頼っている日本では購入コストがかかり過ぎだ。まず、住んでいる地域は東京であれば、関東に限定する。それも難しければ日本であればよし、としてその「地」域を広げていくのが現実的だ。ただ、国産のモノにできるだけ限定し、外国産のマンゴーやキャピアはきっぱりと諦める。(当の昔から諦めてはいるが・・・・)あと、簡単にできることは、その季節のモノを食べるということだ。いつでも食べられる「いちご」とか「みかん」もそのシーズンの時以外食べない。季節を無視して作られたモノより旬なモノが美味しいに決まっているし・・・・。
もう一つは「一物全体食」。穀物を精白しない、根菜は葉も食べる。魚はまるごとということである。りんごをまるごとカジルことは「皮の内側に栄養がある」などという理屈を超えて健康を歯茎で感じていく快感でもある。
「津軽りんごもできたら種まで食べたい、無理だけど・・・・」という夏堀さんは体も表情も健康そのものである。「皮がキモ」と、あの東京農大名誉教授小泉武夫先生もアチコチでお話している。小泉先生だけではなく、りんごも魚も皮の方が美味しいという人も多い。
私も少しばかり「身土不二」「一物全体食」を実践していた時のことである。「くらしのくら」のスタッフの一人が難病とも言える目の病気にかかった。眼球の出血により視界のほとんどが血の塊で遮られて見えないという症状である。文字を読むこともできず、このままでは失明の危険性もあった。そのスタッフは注射と投薬で改善を図るという医者の方針に満足せず、遠方の「自然治癒」を掲げる病院に相談した。その医者は「交通事故などの救急医療以外の病気は食事療法で治すことができる」と豪語したという。本人は半信半疑ながらその医者の言うとおりに、投薬を止めて、精米を玄米に変え、加工食品を断ち、食事はすべて自分で作る、散歩は毎日1万3千歩以上という生活を始めた。「言うは易く」で、毎日それを実践する努力たるや並大抵なことではない。
食生活を変えて3ヶ月。驚くべきことに、日常生活にほとんど影響のない程度まで視力が回復したという。その努力が報われたのだ。嘘のような話である。でも、あっても不思議ではない話である。自分の身体の力を信じる、そして自然(土)に自分の身体を任せていくことが、失ったパワーを取り戻す事になったのではないか。
加工食品や外食では、全世界の素材が交じり合い、更に多くの化学添加物で化粧されている。自然の一つでしかない人間が、徐々に自然のカラダではなく加工されたカラダになってきているのかもしれない。
リサイクルもまた、地域の物々交換を原点としているわけで、自然に帰る食事療法と同じように、「余計なことをしない、余計なものを入れない」という点で共通している。
ジャンジャン。(コジツケかなあ)