モノ語りヒト語り

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草間彌生画伯から「すまちゅう」へ

元テレビプロデュサーのAさんが、油絵やキリムなどを買い取って欲しいとのことでご自宅にお伺いした。草間弥生のリトグラフなどの有名なものは目を引くのは勿論だが、廊下に飾られた具象画から抽象画まで絵のセンスが素晴らしい。

思わず各部屋の壁にかけられた2号サイズから40号までの油彩、リトグラフに見とれる。絵に値段をつけるということが果たして何なのか。その流通プライスが高い、低いがその絵と何の関連性があるのか。思わず立ち止まってしまうような絵に出会うと、「査定」なるものにクエスチョンマークがついてしまう。

現場から引退して年月を経たご夫妻とそれぞれの絵の感想に時間を費やす。「いいものはいい、それに値段はなじまない」が、それでは仕事にならない。

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私「この部屋にあるものは質の高いものばかりですね」

Aさん(以下「A」)「いや、もう大分処分しているのですよ。本もこのクローゼットの中にいっぱいあったけど、全部売りました。買い取りに来た人は昭和の作家も知らないのでビックリですね。井伏鱒二も安部公房も新田次郎も知らない」

私「そうですね。M君(同行した弊社ブランド担当、26歳)もわからないよね?」

M「全然知らないです」

A「全部売って、このコーヒーカップの値段くらいかなあ。本読まないものね、若い人。スマートフォンがホンだもの」

私「ダジャレがうまいですね。確かにスマートフォンがブームになってから、変わりましたね。今の電車内は気持ち悪い静けさです。新聞を広げる人も、文庫本を読んでいる人も少ない。みんなジーっと下を見て指でさすっています」

A「本が売れないわけだ。それで本屋さんが潰れていく、寂しいよね」

私「本がネットでしか買えない時代はそう遠くないかもしれないです。でも、電車内の通話OKにしたほうがいいかも。うなだれ沈黙の車内よりうるさい車内のほうがマシ」

だんだん、仲間内の会話に・・・・・

A「なんでも、電車の吊り広告が無くなるらしいね。出稿する会社が無くなったんだろうね。これもスマートフォンなる魔物があらゆるものを飲み尽くしているということかなあ」

私「それで、最近は週刊誌の吊り広告を見かけなくなったんですかね」

A「週刊誌の見出しだけで、芸能情報が仕入れられたのにね。今の人たちはそんな下世話な情報もネットで仕入れるんだろうね」

私「そうですね。なんでもスマフォで事足りると思っているからメールでのコミュニケーションは得意でも、面と向かった対話が苦手な若者が増えている。あ、面白い落語思い出しました。志の輔師匠の創作落語<すまちゅう>でスマフォをずーと離さず、それを見ながら話をする甥っ子を叱って、『それじゃスマフォに使われているだけだ。ああ、叔父さんだってスマフォ持っているが、ほら、今持ってないだろう、スマフォに使われていないよ、2階に置いてあるんだ』それをかみさんが持ってくると、そのスマフォにはクラブのママからのメールが・・・・オチが、甥っ子に向かって『スマフォは離すんじゃあない』」

A「ふ、ふ、ふ。確かにそうだね。便利だけどいろいろなものを変えていく、壊しもする。だから、私はつい最近携帯やめたよ」

私「羨ましい、そうしたいけどできない私です、仕事上・・・・・・・・・・・。私自身、このスマートフォンを家に忘れた時に、うろたえましたね。電話が来てもメールが来ても受けられない、という不安。でも1時間もすると、あ、こういうものが無いことで時間を奪われない安心感に包まれる。でも、翌日は忘れないように注意深くなる。こんな繰り返しをしている」

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A「若い人がスマフォをなかなか手放せないのは、自分はこれで世界につながっているという錯覚ではないかと。もっと言えばスマートフォンを捨てられる別な何かが必要。それが何かわからないけど、つながらなくても問題無いんだという文化を育てないと・・・」

コーヒーをいただきながら、のめりこんだスマフォ論となった。

「くらしのくら」のお店の売り上げは伸び悩みんでいるが、一方でネットでの販売はこの1年伸び続けている。こんなスマートフォン談義をしているものの、モバイルフォンからのアクセスは、2015年5月にシェアで史上最高の45.9%を記録。「くらしのくら」につながるアクセスの主流が携帯電話になるのは時間の問題である。

嬉しくもあり、寂しくもあり。

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