マチもヒトも元気になる
この深沢商店街も「空き店舗」があちこちで見られるようになった。
2013年6月10日、モノ語りヒト語り『リヤドロとシャッター街』で地方の疲弊を目の当たりにしたことを書いたことがあるが、今の深沢はその風景に近くなったような気がする。僅か2~300メートルの道路に面したごく小さい深沢商店街ですらこうである。移り変わりのはげしさはまだ未来があるが、シャッターが下りたままの店が増えていくと商店街の気力が奪われていく。誰かが頑張ってどうにかなるような話でも無く、ただただ日本が元気になるしか無いというやりきれなさが残る。
マチに元気が無いだけではない。ヒトの元気も徐々に失われてはいないか。
バンクーバーの大学にいる留学生は中国人が8,000人、日本人が20人だそうだ。アメリカに留学することが夢だった時代(高度成長期)は今や昔である。
「今の若い男の子は車に関心ありませんから・・・若者向けの車ではなく、ファミリー向けしか売れない時代です」と車の営業マンは嘆く。携帯電話の費用に追われ、電話というツール以外に手を伸ばせないのに違いない。ゆとりある収入がなければ恋愛も面倒、結婚は自由な生活の妨げになる、と思うのも無理は無い。
いつからこうも日本人が内向きなったのだろうか。バブル崩壊(1990年代)が節目だったのか。その後の「失われた20年」は経済の停滞という意味だけでは無く、「若い世代の成長の停滞を招いた20年」だったのかもしれない。それはこの国が戦争をイトワナイ選択をしようとしている大きな曲がり角の時代と呼応しているようにも見える。若い世代が「今、戦前という時代に生きている」かもしれないということに、関心を示さない。「孫を戦争に巻き込みたくない」というお年寄りが国会でデモをするのである。明るい未来をすべての世代が共有していた戦後の世代は、このようなカタチで今の若い人たちに戦前という時代へと引き継ぎたくないのだ。
異議申立てには様々なプレッシャーがあるに違いない。だが「マチもヒトも元気を取り戻し、次の世代が将来に希望を持てる社会」になるように、一人一人が努力していくしかあるまい。
まずは自分たちが元気にならねば・・・・・・・・