「家と生活に根ざす器」
❶
うつわノート探索編
12月1日より、埼玉県川越市の「ギャラリーうつわノート」で開催されるとのこと。
うつわノートと言えば前からブログを拝見して、行ってみたいと思っていたギャラリーである。
初日と2日目は森岡さんも在廊される・・・
1日はお休みであったため、迷わず行くことにした。
電車とバスで2時間30分かけて到着したものの、肝心のギャラリーが分からない。
私は重度の方向音痴である。
スマートフォンのマップに助けられながら、細い路地を探索していると、
木造の一戸建ての洋館にたどり着いた。
目立った看板などはないが、マップは現在地が目的地に到着していることを教えてくれる。
しばらくウロウロしていると、下に「ギャラリーうつわノート」の看板を発見した。
(仲田)
12月1日より、埼玉県川越市の「ギャラリーうつわノート」で開催されるとのこと。
森岡さんはこの「モノ語りヒト語り」(8月5日号)でご紹介した和歌山の陶芸家である。
旅先での出会いを大事にしてくれたことに感謝してお伺いした。
車で2時間30分かけて到着したものの、肝心のギャラリーがわからない。
何度か細い路地を探索し小さな看板を見つけるが、そこから、それらしき場所が見つからない。
さてどうしようと、道を掃いている男性に聞いてみた。
「ここです」それは角に面した木造の一戸建ての洋館、
掃除をしていたのはこの「うつわノート」の会主その人松本さんであった。
<築80年という大きな洋館。うつわノートHP営業案内より引用させていただいた>
(野坂)
❷
森岡成好展会場編
小声で「こんにちは」と声を掛けながら引き戸を開けて土間に足を踏み入れると、
真正面に高さ42センチの焼き締め大壺が迎えてくれた。
「パンフレットの壺だ!!!」と感動した。
<森岡成好展案内状。B2より大きい縦72センチのポスターが案内状を兼ねている>
初日ということもあり、たくさんの人が来場されていた。
各お部屋の作品を1点1点凝視した。
手に取って見ることができるので、
写真などでは分からない質感なども感じることができる。
ふとガラス張りの引き戸に目をやると、お庭が見えた。
お庭の真ん中には森岡さんの大きな焼き締めの壺がある。
引き戸の奥の畳の部屋では、初日ということもあり、酒宴の席が設けられていた。
森岡さんを囲んで皆楽しそうに談笑している。
森岡さんの温かいお人柄が一瞬で分かる光景だった。
ギャラリーの方のご厚意で私も座らせていただく。
目の前で森岡さんが日本酒を飲んでいる・・・。
その状況に慣れるまでに30分ほどかかった。
その間も目の前で玉子焼きばかり食べている謎の小娘のことなど
まったく不思議に思わずお茶を注いでくださる森岡さんの大らかさに、とても心が和んだ。
お茶の入ったぐい吞みを両手で握ると、やんわり冷たい温度が伝わってくる。
焼き締めの大皿も、美味しい料理を一層引き立たせてくれる。
主役はあくまで料理や使う私たちなのだと、身をもって教えられた。
そしてテーブルに1つだけあった奥様の森岡由利子さんの白磁の皿を見て、
やはりご夫婦の作品は一緒に使うと相性がとても良いと確信した。
以前、「こんなモン買いました」のブログで
森岡由利子さんの白磁を紹介させていただいたので、
いつか森岡由利子さんにもお会いしてみたいと秘かに思っている。
(仲田)
川越大師喜多院(三代将軍家光の乳母春日の局ゆかりの寺院)で
お参りをしてから、「ギャラリーうつわノート」へ。
普通の家の構えなので「こんにちは」でいいのだろうか。
誰もいないようだ。
引き戸を開けて土間に足を踏み入れると真正面に高さ42センチの焼締大壺が迎えてくれる。
パンフですでに相まみえている堂々とした器である。
誰もいないようなので、次の間に行くとそこが展示場になっていて奥から庭が開けている。
縁側で森岡さんが庭を眺めていた。
焼締めの壺と盛岡さんがこの庭に溶け込んでいる。
<うつわノートHPより引用させていただいた。会場に入った瞬間に目に入った
その日の情景と寸分変わらない写真に驚く>
中国の砂漠を旅して帰ってきたとのことだが、隣の山に行ってきたような、
疲れを見せない飄々とした表情。
1年ぶりの再会だったが、もう何度もお会いしているような親近感がある方である。
100点以上あると思われる作品は和歌山からトラックで運び入れたとのことだが、
この家に住んでいる人がそのまま、使っている食器を整理して出してみました、
という自然な雰囲気をかもしだしているので、気を緩めて観ることができるのが嬉しい。
花生けから茶碗、湯呑、急須、水差しなど様々なかたちの器が
この家(生活空間)の中に息づいている。
森岡さんの作品は日常の生活のなかで色気づくような気がした。
私の下手な文章より、会主の松本さんが紹介で書かれている文章が
素晴らしいので引用する。
「暮らしの器」という言葉が一般化していますが、
森岡さんが積み重ねてきた仕事を知ると、
その重みをあらためて知らされます。
陶芸家たるもの芸術品を作るべしという時代から、
権威におもねず一貫して暮らしの中で輝く器を作り続けてきました。
(案内状より一部引用)
「案内のパンフレットもすばらしいですね。会主がつくられたんですか?」
「ええ、そうです。本当はこの壺と同じサイズで写真を載せたかったんですがねえ」
パンフレットだけでなく、作品のディスプレイからプライス表示など細かい点に至るまで
気配りされた「うつわノート」の会主、松本さんの森岡作品に対する愛情が伺い知れる。
(野坂)
❸
森岡作品購入編
森岡さんと言えば南蛮焼き締めの赤褐色が印象的だが
(実際に使わせていただいたのもこのぐい吞みだった)、
私が選んで購入したぐい吞みはこちらである。
釉薬の絶妙なかかり具合がとても魅力的である。
残念ながら私はお酒が飲めないので、このぐい吞みでいただくのはお茶である。
ちょっと格好がつかないが、森岡さんの器はそれを許してくれる。
(仲田)
この花生けはこの扉以外のどこにもかけようがないではないかと思わせる一体感がある。
聞けば、その扉は李朝のアンティークだそうで、
私達もそう簡単に手に入れることはできない代物である。
飾られていた格子扉と一緒に購入するのが一番いいのだが、力及ばず断念。
飾り方は相当に難しいだろうが、店で花を生けてみたいと、花生けのみ購入した。
<アンティーク扉と花生け、そして野の草花の絶妙なコンビネーション>
<レジと事務スペースの間にある格子戸仕切りに飾ってみた>
毎日仕事に追われているスタッフが水やりをするのは大変なので、ドライフラワーにした。
真紅の花が渋い土色の器で一層引き立つように見えるが、どうだろうか。
森岡さんに聞いてみたい。
そしてもう一点、私の夜のお付き合いにぐい呑を一つ。
手触りと口当たりが野性味溢れていて、酒の味とともに、
手と口先で器を味わうことを楽しませてくれるのがいい。
<南蛮風の赤茶けた色合いと粗い土の感触が素晴らしい>
(野坂)
❹
帰り道編
写真を載せたかったが、友人との待ち合わせがあった為、足早に川越を後にした。
友人に自慢するぐい吞みの入った紙袋を握りしめて横浜までノンストップで熟睡した。
次回ギャラリーうつわノートにお邪魔する際は、
セットで小江戸ツアーを組み込んで一日川越を満喫したい。
(仲田)
街並みをあるいて気がついた。
この小江戸だけではない川越の歴史に「うつわノート」はつながっている。
簡単に見つからない場所の古い建物 の意味がようやくわかったような気がした。
でも、こんなに沢山どこから来たの?という混みよう。
年寄りが歩くには辛いが、若い女性が着物を着て歩いているのを見るのは嬉しい。
着つけや組み合わせがどうかと思うことが多いが、
若い人々が着物を着てくれるチャンスが増えることの方がとても大事な時代となった。
着物を着ている女性はみんな美しいと思うのは私だけだろうか。
(野坂)
文責:仲田・野坂