事実は小説より奇なり (ダイニングテーブル買取顛末記)
吾輩は猫ではない、卓である。名前はまだない・・・・・
この有名な小説の冒頭の引用は、巷に溢れかえっていて気恥ずかしいのだが、
一生に一度だけということで許していただきたい。
さて、その吾輩は大きな家具工場で生み出された。
今でいうところのダイニングテーブである。
故に、名前を付けられて呼ばれたことなどあるはずもない。
スガタカタチは、直径1メートル20センチほどの円形のテーブルで、色はホワイト、脚はクラシカルな装飾、見た目はちょっとモダンである。
店では若い人にもずいぶん注目されたが、最後は中年のご夫婦に引き取られた。
それからおよそ10年、朝昼晩の食事は勿論、コーヒータイムにも、ほとんど身じろぎ一つせずお付き合いをしてきたが、ご夫婦の身辺整理に伴い買い替え対象となり、吾輩は生まれて初めて「査定」なる審査を受ける羽目になった。
ある日、「くらしのくら」とかいうショップの若いお兄さんがやって来て、吾輩をまじまじと眺め、テーブルの裏までのぞき込む。
その上、天板やら縁まで手で触ってくる。
なんとも気恥ずかしいし、くすぐったい。
これが査定というものか。
「相当、お使いですね」と吾輩をまるで年代物扱いをする。
つまりは値段が余りつかないことを、やんわりと伝えたかったのだろうか。
確かに、昔は艶やかだったホワイトも色あせているし、卓面の縁にある年相応のしわも隠せない。
「当たり前だろう、10年近くこの家で休みなく付き合ってきたんだ」と独り言ちる。
ここは抵抗せず、黙っていないと廃棄処分になりかねない。
しばらくして、オーナーと価格の折り合いがついたようで、吾輩は第二の人生を歩むことになった。
二度目の居場所はマンションの一室で、こぎれいな10畳ほどのリビングルームに吾輩は運び込まれた。「さあ、これからどんな生活が待っているのか」と、思う間もなくあのお兄さんと吾輩がまた再会するとは誰も想像できまい。
荷ほどきをされて、まだ吾輩を包んだ段ボールが周りに積み重なっているところへ、例のお兄さんが現れたのだ。それも、前に聞いたことがある「査定」とやらで。
お兄さんは吾輩と再会するや、目を丸くして「え?え?こ、このテーブルですか?
(ついこの間、ほかの家で買い取ったものと瓜二つじゃん)ど、どうされたんですか?」と驚きながら、第二のオーナーに質問をする。ついこの間、ほかの所で私が買い取ったテーブルなんですよ、とは言えないのだろう。
吾輩から言わせれば「え?何でまたここまで追いかけてくるんだよ!」である。
その経緯はこうである。
吾輩は最初のオーナーから買い取られた後、家具の市場に出され、他の店に引き渡された。
その店はインターネットで家具を販売している。
ネットのサイトに展示されてしばらくすると、吾輩に見とれた(に違いない)二番目のオーナーがプチっと購入決定ボタンを押したというわけである。
届けられた家に納まってこれで安心と思ったのも束の間、オーナーは吾輩をまじまじと見つめると「写真と印象が違う、サイズも大きすぎる」とキャンセルしたのだ。
ネットの世界ではよくある話らしい。
だが返品の手続きが煩雑なうえに、テーブルの梱包も面倒となり、結局売却することに。
その買い取り依頼のお店が、またもや「くらしのくら」だったというわけだ。
このテーブルを購入する前はアンティークドローリーフがあり、その代わりに吾輩(丸テーブル)が来たのだが、そのドローリーフの売却先が「くらしのくら」だったらしい。
数日間で、オーナーはドローリーフと吾輩と、2度の買い取り依頼をしたというわけである。
吾輩は吾輩で、2回の転機で同じ店に買い取られるとは思いもしないことであった!
言ってしまえば、吾輩と「くらしのくら」は切っても切れない深い関係ということである。
「二度あることは三度ある」っていうじゃないか、また吾輩は戻ってくるよ。
<皆さま
本年は新型コロナ禍のなか、多くの皆さまにお声がけをしていただいた上に、
ご来店もしていただき感謝の言葉もありません。
また、この厳しい環境の中お買取り依頼をしていただいた方に感謝いたします。
新しい年が、皆さまにとって健康で明るいことをお祈り申し上げます。
2021年12月
くらしのくらスタッフ一同>